「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか(レビュー拡張版)

AV女優をあつかったノンフィクションやルポは数多い。それらにも、現状分析の視点はたいていあるのだけれど、前提としての「性的価値を金銭化すること」を含めて、AV女優になること/ありつづけること/なくなること、についてしつこく追求した点で本書は群を抜いている。
てなわけで、ライトに読んで楽しみたい人にはお勧めしない。

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本書のキーワードとなっているものに、「性の商品化」「自由意志」がある。

要は、主として女性が、好きで自分のカラダや付随するココロの一部を金に換えてるんだろうってことだ。
ただ、その中でもAV女優はかなり特殊だ。
買い手に対し、直接性的サービスを提供するわけではないから。
では彼女たちが売っているのは何だろうか。

副題にもあるように、本書の中心部分は「饒舌に自らを語るAV女優たち」を、社会学者としての著者がフィールドワークしたものだ。
対象が対象だけに、大規模なアンケートや先行研究の分析は困難だ。
そこで著者は参与観察という手法を取る。
実際にAV女優が、どのように仕事に入り、変化していき、離脱していくかを、現場で調査し検討する。AV女優はもちろん、スカウト・マンや撮影スタッフ、プロダクション関係者もインフォーマント(情報提供者)だ。

本書では、インフォーマントは全て匿名である。
そこが、AV女優のインタビューそれ自体が商品となっている場合と大いに異なる。
驚かされたのは、調査対象となったAV女優たちの勤勉さだ。
ワーカホリック、ともいえそうな。

著者はあとがきでいう。
「私がここまで論じてきたのは一言で言ってしまえば、身体や性を売ることの中毒性についてである。
私には中毒の所在を探して解体して見せたいという欲望があった。その一側面は、誰かの悪気であるかどうかにかかわらず、労働現場のシステム自体が実に巧妙に女たちの自尊心に働きかけ、鉄より硬いプライドをつくりあげていく様をみることができた。ただそれだけですべて説明しきった気分になるわけにはいかない」

本書は、著者が大学在学中に書いたレポートと、それを発展させるかたちで大学院で修士学位論文としたものがもとになっているという。つまり、バリバリの学術書だ。しかしそれは本書の読み手が、本書を学術論文として消化することを担保しない。当然のことだが。
この本を手に取る人々は、何を期待して読もうとするのだろうか?
私はそこにもメタな「性の商品化とその消費」があると思うのだ。

** 以下拡張部分 **

メタな「性の商品化とその消費」に付言するなら、本書や、著者による他の著書が出されてから、著者のプライベートもその対象となった。
本書を読めばわかることだが、著者は、いわゆる性的行為を伴わない援助交際を含め、女(とりわけ年少者)が、自らのカラダや行為、フェティッシュなモノ(いわゆるブルセラ下着売り)を商行為の対象とすることについて、肯定も否定もしていない。
私もそのスタンスについては、相当な部分共感している。

問題は商品化の過程で、対等な関係の間での商行為と思われていたことが、一方からの搾取になり、収奪になり、簒奪に成り果ててしまうことだ。
立ち位置そのものは固定的なものではなく、時によりスイッチングするが。

著者にまつわるできごとでいうなら、もっとも不愉快に感じたのは、著者がAV産業に(学者としてではなく)かかわったことを、彼女の学歴や職歴、容姿、家庭環境等と絡めて、男性の立場から玩味するような文章を見たときだった。一般商業雑誌の、ネット上のサイトで。

象徴的だったのは、彼女の芸名に君付けして「~クン」と、なれなれしく書いていたこと。
そして、「~クンに期待したい」と。

この不快感、怖気をわかりやすく論理的に伝える言葉が今の私にないことが口惜しい。
ただ、ほんの少しでも、この気持ち悪さを共有する人がいたらいいなと思い、書き置いておく。